胃が痛い

こんにちは。

最近は、すぐ胃が痛くなって困ります。

金麦をの飲むとリラックスでき、胃痛も収まるということを発見してからは,痛みで眠れないということはありません。

 

もう私のことを褒めないでほしい。

私は何もできない人間なのです。

期待に応えることなど出来ないのですから、やめてほしい。

いや、みんな私が無能だとわかっていながら、煽るために褒めているに違いありません。

嘘つきばかりです。

どいつもこいつも嘘つきばかりです。

嫌いです。

私は死ぬときに何を考えるのだろう

こんにちは。

気づけばいつからか、一日に2回は死にたいと思うようなりました。

調子のいいときでそのくらいですから、普段は常にそう思っています。

そんな人間が実際に死ぬとき、どういうことを考えるのでしょうね。

やっと死ねることへの喜びか。

そんなときでもただ悲しいだけなのか。

最早何も感じないのか。

 

何が悪いのでしょうね。

私が悪いのでしょうか。

生まれ持った性質が悪かったのでしょうか。

無駄なプライドの高さを指摘されることもあります。

声が小さすぎることを怒られることもあります。

ミスが多すぎて呆れられることも多いです。

人と話すのが苦痛です。

人はうそをつくから嫌いです。

人は適当だから嫌いです。

人と目を合わせるのが嫌です。

人の声は嫌いです。

人は下らないから嫌いです。

人間のコミュニケーションが嫌いです。

人間の気配が嫌いです。

 

もう部屋から出たくないです。

誰とも話したくないです。

もう何もしたくないです。

何もしたくないです。

人は皆似たような悩みを抱えているといいますよね。

ほかの方々も私と同じようなことを考えているのでしょうか。

かわいそうです。

ぼくもこんなことなら生まれてきたくなかった。

生まれながらにして、死への恐怖と生への執着を与えられ放置される。

私が一体何をしたというのでしょう。

もうただひたすら悲しいです。

 

特に何もない

こんにちは。

読者のいないブログというのも、それはそれでかっこいいなと思う今日この頃です。

なんというか、他者と独立した存在というのに私はずっとあこがれていると思います。

幸運なことに、これまでの人生でまぁ一度くらいは恋愛をしたこともありますし、親友と呼べるような人間もいます。

それでも、私はずっとそう思っていました。

 

これが社会に蔓延する自己責任主義の結果かというと、そうでもないように思います。

私は自分だけの不確定要素の少ない世界で安心したいのだと思います。

これは、私が他者との交流を避けている臆病者だからだといわれるかもしれません。

或いは、他人との交流が人生を豊かにするのだと仰る方もいらっしゃるでしょう。

どちらも理解できますが、やはりそういうものに不完全さを感じてしまいます。

 

その不完全さを人間らしいとか、進化の可能性とか、多様性とかと表現することもできるでしょう。

しかし、それを許容する限り、私のような苦しみを抱く人間が生まれ続けることに残念だと感じます。

つまらない話をしてしまいました。

こんなこと言ったところで、何の解決にもならないのです。

少しは現実的な話をしましょう。

社会では役に立つことしか認められません。

こんなことを言っていたら余計悲しくなってきました。

それに眠いです。

古典的なあいさつで終わりましょうノシ

 

消耗し続ける人生

こんにちは。

起きて、働いて、寝て、起きて、、、ただこれを繰り返すだけの日々を過ごしています。

そして、一周するたびに心身ともにどんどんと疲弊していきます。

皆さんもそうでしょう。

我々は何をしているのでしょうね。

もちろん、社会を維持するためには必要であることは認めましょう。

しかしながら、非効率な業務や面倒な人間関係はどうにかしてほしい。

もう何もかもめんどくさい。

やはり、人間に生まれたことが間違いだったんだ。

はやく終わってほしい。

悲しい

こんにちは。

人生悲しいことが多いですね。

もはや、人間に生まれてきてしまったことが悲しいです。

来世はすみれにでも生まれ変わって、綺麗な花を咲かせたいです。

 

私は典型的な、勉強はできたが仕事ができない人間です。

特に事務能力とコミュニケーション能力がないと自分でも認識しています。

 

私が何かの事務作業をすると必ずミスを犯し、誰かに迷惑をかけています。

しかし、私からすれば

  • 書類の記入箇所・方法が明確でない
  • 書いていないルールが存在する
  • 何度も同じことをさせる

などの理由から、間違えて当然だと思うのですが優秀な皆様は容易にこなしてらっしゃるようです。

そして、このようなミスは下らない談笑の材料にされ、晒されていくのです。

そこに、各人のお気持ち表明が加わり、さらにはそれを私まで運んでくる親切な方々が加わり私を疲弊させます。

おおおそ馬鹿らしいですね。

しかし、私はあきらめました。

ポケットの中で中指を立てるだけにしておきます。

 

そういったミスをした際に身を守るためには、周囲の人間とのコミュニケーションが大事になってくるでしょう。

一般に人間は、会ったことのない人間には容赦のないことを言えますが、一度でも好意的なことを言った人間に対しては擁護に回ることが多いです。

ですから、目上の方々とお昼に行ったり、飲み会にいったり、お土産を買ってきてみたりとすることは非常に大切なことになるでしょう。

しかしながら、私にはそのような元気など最早ありませんし、ただひたすら家に帰りたいという思いしかありませんから自らの首を絞め続けるだけです。

実際のところ私は自身の行いを悪いと思っていない節があると思います。

他者との話題作りのために人を晒したり、くだらない交流だけから人間を評価しようとする人間を軽蔑しているのだと思います。

このように考えてしまうのは、私が幼稚なだけなのでしょうか。

次は人間に生まれたくないです。